勝谷誠彦君が逝った。早すぎる。しかし彼らしい生き方だったのかもしれない。表題は彼の座右の銘である。ソクラテスの言葉とか。その通りに生きたのだろう。残念なのは賢すぎたのか?マスコミはアルコール依存症をあげつらうだろう。そんなレベルの話じゃないんだよと言いたい。私と彼との最初の接触は、入学して間もなくの生徒会長選挙だった。歴代高2生が選ばれる会長に彼は高1で立候補した。その選挙期間中、昼休みに我がクラスに来た彼はひとしきり演説をぶったあと、弁当を喰ってる私たちにお茶を入れて回ったのだ。衝撃であった。「なんておもろい学校やねん」・残念ながら、遠足年2回の公約を果たせなかったが、年1回発行する生徒会誌に、私が尊敬してやまない北杜夫先生の寄稿を得たり、彼ならではの活躍をされた。そして、彼との距離が縮まったのは東北大震災であった。震災直後、福島原子力災害もあって、日本中が自粛ムードに包まれた。そこで彼は敢然と、「消費しよう」と訴えた。消費して日本経済を支えようと!こんなこと言ってるのは彼だけだっただろう。TVで言えば袋叩きだ。私は、その通りと膝を打ったが、無力だった。せめてもと春秋2回開催の診療所のゴルフコンペは通常通り開催した。その時から、優勝賞品は東北のお酒、各賞は東北の物産、そして参加費から東北各県へ義援金を贈ることとした。これは今でも続けている。彼の声に応えて、震災年の夏、家族旅行で福島を訪ねた。素晴らし温泉と、素晴らしい食べ物に出会った。翌年は診療所の有志で再度福島を訪ねた。また震災の年には勝谷君の呼びかけでただ福島へ飲み食いし、土産を買うツアーを断行した。下の写真はその時の磐梯山をバックにしたものである。彼には2度診療所の講演会で話してもらった。何の得にもならんけど、彼の主張を日ごろバカマスコミの新聞やテレビしか見ていない人の眼を開かせたかった。私は世間の馬鹿さ加減があまりにひどいので、孤独を深めたのではないかと考えている。あまりに純粋に生きすぎたのだと。マスコミの作る彼の像は、実際はまったく異なる。気配りの人で、優しくて、根底にある教養がとんでもなくすごくて。生を受けた人間はどうあるべきか、教えられる人であった。もっと教えてほしかった。残念でならない。