競技時間が変則なのもあって、平昌五輪はあまり見なかった。メダルを獲得した人も、そうでない人も皆立派だった、といまだ感動に浸っているのである。残りの人生が少なくなって、心の箍が緩んできているのか?すっかり涙腺も緩んでいる。選手の言葉に涙することが多くなった。いつから日本のアスリートはかくも、語れるようになったのだろう。うわべだけの感謝の言葉を述べてもすぐわかる。政治家がそうでしょう。そうでなく、心から自分の気持ちを吐露していると感じられた。カーリング女子の常呂町での挨拶は、白眉であった。生まれ故郷への感謝の言葉は、それだけで常呂町民の心をどれだけ豊かにしたことだろう。子供たちが自分の故郷を誇りに思っただろうことは想像に難くない。地方の再生のヒントがあるように思う。女子選手がメダルを量産したので、彼女たちの言葉ばかりが目立つけれど、男子選手もどうしてどうして。競技時間が変だった分、翌日のワイドショーや特集番組で、言葉を堪能させてもらいました。「伝統」に固執するのでなく、世界に目を向け、自分の頭で考える。素晴らしい日本の若者を教えてもらった。その意味で、いいオリンピックだったと思うのである。