大阪は好天に恵まれ、ピリッと冷たい空気が誠に日本の新年らしいと思う。明けましておめでとうございます。元日は何もせずにゆっくりと過ごしたい、というのは嘘で、ただ怠惰なだけである。6時45分、いつもより15分遅く起床。最後の追い込みのために塾へ向かう息子を十三まで送る。今迄にも書いてきたが、私は銀の匙を咥えて生まれたわけではない。両親は共働きで、母は大晦日、元旦も勤めに出ていた。大晦日、元旦は家族で母の職場まで迎えに行って、遅い年越しそばを食べ、母はそのあとお節料理をこしらえるのである。父と子供たちは掃除などをしていた記憶がある。だから私は成人した後もしばらく、新年のお祝いは夜にするものだと思っていた。そのせいで我が家は今も新年を夜祝う。私が医者になって、進んで元旦の当直をするようになった。誰も元旦の朝から24時間当直はしたくないでしょう。術後の患者さんは外泊できないし、結局元旦は入院患者さんを回診するので、同じだし。救急患者が元旦は少ないということもある。だから新年のお祝いは2日の夜になった。いつでもいいのだ。気分の問題である。子供心に、元旦から働かせる企業を憎んでいた。元旦くらい家族だんらんを味わわせろと。今年は、人手不足もあって、元旦休業が増えているとのことである。理由はともあれ良いことだと思う。医療や、鉄道など社会インフラというべき仕事以外は、正月は休むべきだ。そして家族が集まり、新年の喜びをかみしめ、この一年を想うべきだろう。たった一日休むだけで、勤務先への感謝の気持ちもわいてくる。野党に転落して、二度と浮上しないであろう政党の元党首の親族が経営する巨大小売企業は、なぜ元旦から営業なのか。客より従業員でしょう。唾棄すべき現実と思う。従業員の子供たちが、どんな気持ちで元日を過ごすのかわかっていないのであろう。元旦は営業禁止という法律を作ってもいいくらいだと思う。日本のお正月は静かに過ごすべきだと考える。今年も、すべて妻手作りの煮しめなどをいただき、静かな新年を過ごした。ただの休暇ではないのである。今年も私には大変な年となろう。ただひたすらに、世のため人のため、身を削る覚悟でいる。来年のお正月、微笑むために。