最高の友、Mが逝った。「竹馬の友」そのものだった。小学校から同じで、通学路も同じだった。中学の1年だけが同じクラスだったけど、高校で離れてから、かえって近くなった。ともに銀の匙を咥えることなく生を受け、「成り上がるため」にジョニーを含め努力しあった。大学は3人バラバラになったので、長期休暇の度に落ち合って痛飲した。医師になって、Mは呼吸器外科、ジョニーは精神科、そして私。つらい研修医時代も励ましあった。家庭を持った後も、家族ぐるみで泊りがけの飲み会を開いた。忙しすぎて、疎遠になっても、ますます彼らに負けまいとがんばった。Mは私の目標だった。人間のスケール。私が及ばないところだ。彼に追いつきたい。その一心だった。もう追いつけない、永遠に。春に体調不良の連絡をもらい、その変わりように膝が崩れそうになった。大学病院でも正しい診断ができない不運が彼を襲った。地元の倉敷に戻れないと覚悟していたのではないか。それを意志の強さで克服し、いったんは退院を叶えた。その時に、孫たちに囲まれて酒まで飲んだという。どんなに幸せだったろう。これから、苦労をかけた奥さんに恩返しをするというときに。海上自衛隊中尉である次男さんは、偶然にも亡くなる日、航海から帰国したそうである。まるで安心したかのようである。先日、電話で体調がすぐれないと聞いて、今日見舞う予定だった。気遣いの彼らしい、旅立ちである。春以降、何度倉敷を訪ねただろう。昨日だけは、ただただ運転が苦痛だった。4年前にジョニーを失い、そして昨日Mを失った。とうとう私は自分を曝せる友人がいなくなった。父を亡くした時とはちがう。心に穴が空くとはこういうことか。平成23年秋、ジョニーの快気祝い。京都にて左からM、ジョニー、私。