連休の最終日、愚息の通う塾の夏休み前の激励集会が行われたので、連れて行った。中学入試まで半年を切り、さすがに入試に向き合う時期である。新大阪のメルパルクホール、お姉ちゃん二人もここであったな。その時は塾生がもっと多くて入りきれないほどだった。現在6年生は400名余。保護者含めて800名足らずか。最初に学園長の講話。そして昨春の風景を放映。夏休みから憧れの中学校の合格発表までが映し出される。最後は全員がステージに上がり、一人一人決意表明する。その間、しわぶきもほとんどしない。雑談するもの皆無。着信音を鳴らすバカは当然いない。勉強する、させるということは結局こういうことだ。勉強を通じて、人は学ぶのである。皆、ライバルであるけれど、その前に仲間だ。全員合格したって、まだ定員に達しない。努力したものだけが持つ、内面から出る美しさ、雄々しさ、逞しさを大いに感じた。世間では、格差が教育の機会を奪っていると騒いでいる。それはそうかもしれない。しかし、「そうだ」と言ったところで、今は変えられない。不満を言う前に、今すぐ爪に色を付けるのをやめ、髪も染めない、外食もしない、当然旅行もレジャーも一切しない。ゲームもスマホも触らない。流行を追う服は買わない。家族の全員が生活のすべてを受験に賭けてみろ。両親がそこまでの覚悟を見せれば、子供が反応しないはずはないと思うけど。要は覚悟と志の問題だと思う。ただし、中学受験など人生の読点である。自分の頭脳で食っていくならば、価値のある大学に入ってから、どれだけ一生懸命学ぶかがホントの勝負だ。貧乏人にも機会が平等に開かれているのが、日本の素晴らしいところである。また大学を出なくても、知恵と技術でのし上がれるのも日本のいいところである。不満を言ってる奴の気が知れないし、その時点でそいつは終わっている。