川崎のドヤ街の簡易宿泊所火災について、今一つ世間の反応が鈍いように思います。多くの人にとっては、特殊な自分とは関係ない世界での出来事だからでしょう。私は少し、やりきれない思いでこのニュースを観ました。私の通った市大医学部は、阿倍野といえば聞こえはいいですが、校舎、附属病院の裏は飛田新地です。その地獄谷をくだるといわゆる釜ヶ崎になります。通学の都合で毎日新今宮の駅から、釜ヶ崎の端あたりを歩いて通っておりました。時はもうすぐバブルという日本であります。通称アパッチというあいりん労働者センターには労働者(いわゆるニコヨンのおっちゃん、手配師)であふれていました。まわりにはすこしやばい仕事かな、一本釣りの手配師のバンが停まっています。「兄ちゃん、エエ仕事あるで!1日9000円、三食付10日間ドヤ?」なんて何度か声をかけられました。若くてでかくて、小汚い(くたびれたトレーナーにアディダスのスポーツバッグ)といういでたちですから。たぶん三日ともたないきつい仕事だろうと思います。仕事を終えたらしいオッチャンが、自販機でコップ酒を買ったその場で自販機に向かったまま一気に飲み干したのを見たとき、「ゆっくり飲めよ」と思ったけど、そうでもしないといられないほどきつい仕事をしてたんでしょうね。オッチャン達は、そういう日雇い労働をして、帳面に印紙をもらって、仕事にあぶれた時の保険をかけていたのです。「あの人たちは、手持ちの金をすぐ使うから、定住するアパートをもてないのだ」としたり顔で意見を言いますが、もともといろんな事情を抱えて流れ着いたわけですから、すごく刹那的に生きてるんだと思います。世を捨てているというか。釜ヶ崎は結核が非常に多くて、ここでしか見られない症例があると聞きました。私は西成の保健所実習を選びました。壮絶なレントゲン写真は忘れられないものです。そこで聞いたのは「彼らは、入院しても少し良くなると勝手に退院する。じっとできないんだね」。そう入院するほうが経済的にも楽なのに。「釜ヶ崎20年」というそうです。釜ヶ崎に流れてきたら、厳しい肉体労働と、酒などの不摂生、結核の罹患などで20年で寿命が尽きるという意味です。今は万博のころに来て、命をつないだ人が多く生きる街なわけです。「釜ヶ崎は人情に厚い街か?」私は「否」と答えます。街全体が彼らの得た金を吸い取るために機能しています。安売りの店などありません。菓子パンなど袋を破って、2個ずつビニール袋に入れて、より高値を付けて売ってます。夕方になると露店のホルモンの鉄板焼きがかぐわしい香りを発してついついよろめくのですが、実際は大衆酒場のほうが安い。闇の賭場も非常に多い。そして問題の宿泊施設があります。おそらく違法建築のオンパレードだと思いますよ。川崎でも役所はわかっていたと思いますよ。消防だって。診療所の火災点検にあれほど細かい指導を毎年するくせに、違法が見抜かなかった?寝言言うなや。皆さんが「ひどいなぁ」と実感できる場所を教えましょうか。新今宮駅環状線外回りのホームで南を向いて立って下さい。大きな通りに5-7階建てくらいの、古びたビルが立ち並びます。同じような高さの建物なのに、だまし絵のように階数が異なります。そう天井が異常に低いのですね。そうやって建築費をうかし、収容人員を増やしているのです。なるほどオッチャン達は、世間一般的な生活を否定してきたのかもしれません。しかしそういう人たちだからといって、捨て置くのはどうよ。と私は感じます。少し釜ヶ崎を知っている、上から目線の意見でしょうか。