好天のお彼岸の中日です。玄関先に掲げた日の丸が鮮やかです。今日は、私の菩提寺の春の彼岸法要でした。彼岸にご先祖様を敬う行事があるのは日本だけだそうです。しかも天皇家から800年ころに始まったのだそうです。日本独特の精神なんですね。ありがたいことです。我が家は天台宗でして、天台のお寺は数が少なく、しかも密教の関係でしょうか、山寺が多い。今のお寺との関係は、父が亡くなる数年前に始まりました。バイトの当直先に置いてあった1枚の名刺がご縁です。今朝も多くの檀家さんがやってきました。年2回お会いするだけですが、月日の移ろいを嫌でも感じます。結局は年老いて、朽ちていくということです。最近こんな話ばかり書いているような気がします。老いを感じ始めているからね。お年を召していた方が来られなくなり、鬼籍に入られたことを伺い、残されたものも皺深くなり背が曲がってくる。そしてまた小さいお子様が法要にデビューする。この繰り返しなんでしょう。別に私は信心深くはないですが、医者だからでしょうか、「人間そんなもん」と思っています。老いて死んでいく。どうも学生の頃からそう思っていました。ですから当時の「医者は何が何でも患者を生きさせる」という考えになじめなくて、整形外科を選んだということは言えそうです。今でこそ「尊厳死」という言葉ができましたが。なので、今の日本人の「いつまでも若くありたい、とにかく長生きしたい」という風潮になじめません。どう生きるか、生きて何を為すのか?が大切なんじゃないでしょうか。私は今子育ての真っ最中ですので、子供たちを立派な社会人にする責務があります。できれば日本や人類の役に立つ人間になってほしい。その道筋をつけられたらそれで満足です。その後私が個人でやりたい事なんかあまりありません。せいぜい、障碍者のためのボランティアをしたいくらいでしょうか。ですから今は死にたくないけれど、10年後も死にたくないと思っているかなぁ。案外、もういいやと思っているかも。家の小さな庭のサクランボが満開です。そういえば、鳴尾ゴルフ倶楽部の満開の桜を見て、「あと何回観桜できるかな」とニコニコしている爺さん会員が私は大好きです。