今日の朝刊を見てびっくりした。同級生の勝谷誠彦君が兵庫県知事選に出馬するという。数年前にふるさと尼崎に戻ってきて、何か感じるところがあったのかな。政治家にはなるな、と亡き母上から言われていたと思っていた。サンテレビの自身の番組が突然終了し、しばらくテレビに出なくなると言っていたので、どうしたのかなとは思っていた。まさか知事選とは!国会議員になるほうがたやすいでしょうに。やはり身体を突き動かす何かがあったのだと思う。最近は保守論客が地上波から放逐されているので、TVしか見ない人は、過去の人と思っているでしょうが、実は彼がくだらんマスコミを切ったのである。最近も公邸で安倍首相と会談している。都道府県知事は実は、自治省(総務省)をはじめとする、天下り知事が多い。兵庫県もそうである。徳島県知事の飯泉君は高校の同級生でやはり官僚出身だ。やはり自分の故郷は、自分たちでよくしたいよね。大阪も官僚出身の女性知事にええようにされたやん。最後に、毎日配信されてくる勝谷君の今朝のメールを掲載する。私は彼から転載を許されているので。皆さんもどうですか。月900円以内で、よほど新聞より知識教養が身に付きますよ。 2017年4月26日号。<兵庫県知事、やります>。  3時起床。尼崎市の自宅。 兵庫県知事、やります。 やりますって、そりゃあ、まずは選んでいただかないといけないわけだが、こういう時に「兵庫県知事選に出ます」と宣言するのは私は嫌いだ。それが目的ではない。兵庫県知事になることすら目的ではない。兵庫県をうんと素晴らしくしたいのだ。 昨日から報道が爆発的に出だしたので、読者の方々から膨大なメールが届いた。読みきれないくらい。せっかくなので報道は「天下の」朝日新聞を…「だからやめて下さいって。メディアにやりたい放題ケンカ売るのはもうおしまい」。さっそく参謀どもがうるさいなあ。いや、朝日を褒めているのだが。その素晴らしい朝日新聞が、私のことを書いてくれて嬉しいので、そこから紹介しよう。「嫌味にしか聞こえません」。 <勝谷誠彦氏、兵庫県知事選に出馬の意向/無所属で> http://digital.asahi.com/articles/ASK4T5SXSK4TPIHB03K.html <6月15日告示、7月2日投開票の兵庫県知事選に、コラムニストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)氏(56)が無所属で立候補する意向を示していることが、同氏支援者への取材でわかった。27日午後に神戸市内で記者会見し立候補を表明するという。同県選挙管理委員会によると、勝谷氏の後援会が25日、政治団体の届け出を出した。勝谷氏は同県尼崎市出身。2013年の同知事選でも立候補が取りざたされたが、立候補しなかった。 今回の兵庫県知事選にはこれまでに、5選を目指す現職の井戸敏三氏(71)、元県労働組合総連合議長で無所属新顔の津川知久氏(66・共産推薦)前同県加西市長で無所属新顔の中川暢三(ちょうぞう)氏(61)が立候補を表明している。> 現状を知っておいていただきたいので、全文を引かせていただいた。ありがとう。  報道が出るのは仕方がないのである。まず政治団体を届け出る。そのあと明日の記者会見のために県庁の場所を借りるお願いをしなくてはいけない。うちの側近が話した相手は、記者クラブの幹事社である産経新聞で、ここですべてが漏れた。せっかく自分だけが聞いたのだから、産経が抜けばいいのになどと私は思うが、そういうものでもないらしい。クラブ活動…「だから、これからいろいろとお願いするメディアを皮肉るのはやめてください」そうであった。 というわけで届け出をして、記者会見の会場をお願いしたあとには、電話が殺到した。私の番号は公表していない。政治団体としての電話を借りたのだ。これも届け出の直前という泥縄。いいのである。「短期集中」がわが軍団のポリシーだ。「無理やり合理化していませんか」。しています。  さあて。いまから7月2日までは、これまででも「日本いち面白い日記」だったのが、更に凄いことになるであろう。告示日までの水面下の戦い、そして本番をすべてここで書く。ただしひとつ悩みがあってこの日記は私が徒手空拳、つまり指さえ使っていればありがたい購読料を頂戴することで成り立っていたが、今回は映画のように「製作費」がかかる。まあ、選挙費用ですね。みんなに楽しんでいただこうと思えば思うほどかかる。 あまり深く考えてはいなかったのだが、ざくっとプロに計算してもらって、まあ私の老後(って、もう老後だという声あり)に使うために蓄えていたものが、すっかりなくなるということですな。いいや。軽井沢の家はさすがに売らなくていいようなので、あそこでしょぼんと暮らしていれば。愉快である。まことに愉快。わが人生はこうでなくては。「あの、落ちるつもりでの人生設計、やめてもらえますか」。そうか。  これでも記者であったので、まず第一報の記事は裏から読む。選挙の報道が公平であるというのは嘘だ。今朝の毎日新聞。 <兵庫知事選/勝谷誠彦氏が無所属出馬へ/混戦模様に> https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170426/k00/00m/010/049000c <井戸氏への多選批判の受け皿にどの候補がなれるかが焦点の一つだが、ある自民県議は「選挙まで2カ月。井戸氏の選挙態勢は固まってきている」と述べ、勝谷氏出馬の影響は限定的と分析する。 一方、2年前の県議選で9議席を確保して躍進し、県政野党の維新は候補擁立が進んでおらず、対応が注目される。維新の兵庫県総支部幹部は「(勝谷氏から)事前の連絡もなく、一切関係はない」と述べた。> 面白いなあ。中から見ていると。ここで書くものが、これまでに加えて「隔靴掻痒」な感じをされることが多いだろう。それは公職選挙法というものがあるからだ。たとえば、私に対する「お願い」など投票行動につながるものは禁じられている。より多くの方にこの日記を広めてね、くらいがギリギリかな。これは頼みますよ。純粋にエンタテインメントとして、面白いに違いない。人生かけて遊ぶんだから。だが、さきほど書いた理由で、私はまことに慎重にならざるをえない。だから「切れ味が鈍った」と思われることは甘んじて受けるしかない。告示されると、より精査してお送りしなくては。 ともあれ、同時進行ドキュメント日記の始まりである。このウェブの世の中であるので、そうした試みは多いが、恥ずかしながら、プロの作家がやらかすのは世界中でもそうはないのではないか。「愉しんでいただく」のは私は愉しいのである。もういまからドキドキしている。さまざまな知恵も借りたいし、どんどん周囲にも拡げて欲しい。おっと、これくらいはいま言ってもいいのかな。 これから書くが、なるほど選挙というものは、こういうしょうもない、失礼、地道なことからやらなくてはいけないのかと感じている。とはいえ、あまり手の内は明かすなと、参謀どもから叱られそうでもある。ただし、これからの登場人物で「表の顔」は紹介しておこう。本当に怖いのは「裏の顔」かも知れない、と脅してもおこう(笑)。  「あ~、そうだね、事務所借りなきゃね」。大根を買いに行くように言うのである。「安曇野の軍師」は。お馴染みの高橋ヨロンさんだ。横で「このヒト、金銭感覚おかしいですから。いや、すべて気が狂っていますんで、よろしくお願いします」。マネジャーのT-1君である。何しろ気持ち悪いがスープの冷めない皇居の近くに、私とヨロンさんは事務所も住居も構えていて、T-1君も含めて男3人で辛い酒をいつも呑んでいるので、このトリオは鉄壁だ。 面白いなあ、と思うのは。小説的だと考えるのは。まさか自分が知事になろうとするとは思いもしなかったずいぶんと昔。沛然と雨が降る8月15日に、田中康夫さんが二番町の私の事務所に来られたのである。何度かそのシーンはあちこちで書いてきた。「長野県知事選に出ようと思うけれども、どう?」。ほぼ面識がなかったが「やられればいいと思います」と文藝春秋を辞めたばかりの私は答えた。まさか自分の身の上にそれが降りかかってくるとは。 まだウェブがそれほど普及していない時代であった。ましてや選挙でウェブをどう使うのかは誰もわかっていなかった。私はその方面は疎いのだが、モノ書きとしてのカンはあった。やはりモノ書きである田中さんの「文章」をひろげなくてはと。あれこれ、やっているうちに安曇野に卓越した才能があることを知った。ローランドのエンジニアだった。それが、いまや日本国の政治家が「あの男に連絡をとって頼めるか」という「高橋・ヨロン・茂」である。編集者というのは才能あるモノ書きを掘り出すのが仕事だが、私はあまり成功しなかった。威張って言うが、私の方がうまいからである。あ~あ。 その私が思わぬ方面で発掘したのがヨロンさんであった。いろいろと私はヒトの人生を変えてしまっているが、彼などその最たるものであろう。その最終兵器が、私を支えてくれる。もう家も神戸に借りた。近所の呑み屋を、私とT-1君とでチェックした。いったいこいつらは何をしようとしているのか。すみません、すみません。  でもね、それが基本なのだ、私たちの。私のキャッチフレーズは「明るく楽しい兵庫県」です。確か司馬遼太郎さんが戦国大名を評していった言葉に「悪事でも、明るく楽しくやるとそう見えない」があったと思う。原文に当たっていないので、ディテールは間違っているだろう。しかし私はその言葉に出逢った時に衝撃を受けたのだ。 悪事はやらない。それでも県民にとって痛みをともなうことは、しなくてはいけない場合もある。日本の政治家はずっとそれを避けて有権者に媚びてきた。その結果、ツケがたまってきたのだ。必要な手術はする。その時に、医師は「可能性は五分五分ですね」とか言ってはいけない。医者の息子として育ってきて、私は父の「大丈夫ですよ」という言葉を尊敬していた。どうせやらなくてはいけないことがあるのならば、明るく楽しくやればいいではないか。 行政の細かい部分は、私は精強無比なる兵庫県職員のみなさんを信頼している。私がやることは「明るく楽しい」空気を作ることと、最後に腹を切ることだ。信頼した以上、そこで責任をとるべきことがあれは、従容として腹を切る。このことである。  いろいろなひとの意見も聞いたが、最後は自分で決めることだ。「もう一期、現職にやらせてもらえれば」という声は多かった。多選批判はもちろんある。自治省から天下って「世間」というものをひとつも知らないままに兵庫県に君臨してこられた方がどうなのかとは思うが、私は彼のことを知らないのでもちろん批判はしない。ただその「姿」を見るのみである。 畢竟、自分なのだ。自分はどうか。両親が亡くなったことは大きいかも知れない。私にとって両親は大きな存在であった。それがいなくなったということでひとつの枷が外れたことではある。もうひとつは、自分の年齢だ。さきほど触れたように「あと4年待って欲しい」の裏には「待ってもられえば、応援団がたくさんつきますよ」ということだと理解できる。その時は楽な選挙だろう。 だがそれは私ではない。私は独立自尊で生きてきた。独立自尊で生きるため、とくに戦場で求められるのは「自分の状況の把握」だ。最終的には身体的状況ということになる。この感覚、真っ当な人生を送っておられる方々にはわからないかも知れない。 いま私は56歳。ここで闘うか、60歳まで待つか、が最終的な選択肢であった。私は56歳を選んだ。父がいつも言っていた。「さまざまな技術で寿命は延びても、ひとの人生の尺度というものは、そうはかわらない。あとはおまけだと思え」と。昭和の時代、56歳は「定年後」であった。脚も直ったので、ボクシングでまた鍛え直そうとは思っているが、ひとびとのために何かできるならば、現状でなんとか頑張るのがいい。 日記に体調不良のことばかり書いていたでしょう。ここ1年ばかり、まああちこち怪我をするのはビョーキ(だから病気だってば)としても、逆流性食道炎、皮膚の乾癬など満身創痍であった。それが、出馬を決意した瞬間に、ピタッと治ったのだ。オカルトみたいだけれども。乾癬なんかわかりやすい。全身に出ていた赤い発疹が、奇跡のように消えた。「よし、やるぞ」と決めた時からなのである。心身、ということをかんが得る。 朝の風と一緒に、このすがすがしい気持ちをお届けしたい。兵庫県知事、やります。すばらしい場所を、創ります。一緒にやろう。みなさん、ぜひ遊びに来て下さい。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/(c)2017 勝谷誠彦、katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved.情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp発行:株式会社 世論社