先日、診療所に身も名も知らぬ方から電話をいただいた。「N口といいます。あさっては入江先生の生誕100年ではありませんか」何度も書かせていただいている、私の人生を作っていただいた塾の恩師である。私の拙いブログをヒットさせ、そこからお電話いただいたのである。訊けば私より7,8年先輩であること、東京在住である事。など。電話口で背筋が伸びた。先輩の前では1年の差でも直立不動である。先輩あっての後輩だから。塾での日々がまた蘇っていた。落涙しそうなのを必死に耐えた。さっそく、同窓会の会長である、「美々卯」社長の薩摩先輩に連絡した。薩摩さんは塾の伝説である。東大法学部を出て、「吉兆」へ板前で入り、禅寺で修行もするなど、「日本一のうどん屋の親父になる」を実践しておられる。今は灘校同窓会の会長もしておられる。薩摩さんの行動は早い。早速入江先生の奥様、米国在住の娘さんに連絡、また同級生にも連絡、私もお世話になった先輩のご母堂にも連絡された。翌日N口さんから、奥様はじめ多くの方から電話を受けて、話に花が咲いたことを感謝するメールを頂戴した。50年の時空を一気に飛び越えて、少年時代に戻る。なんと素晴らしい時間だろう。ネットの威力をまざまざと見せつけられた。その交わりに少しだけ役立てことを少し誇らしく思った。それよりも卒後50年近く経っても、生きる礎になっている塾の凄味をお知らせしたくて書いてみた。結局は入江先生は、子供の可能性を無限に信じ切るということにつきると考える。それを子供は感じるからしばかれても慕うのである。偏差値を上げるだけの教育でいいのか。テレビで東大生が薄っぺらな知識をひけらかしているのを見ると不快になる。君たちはもっとすべきことがあるだろう。今年も年末に同窓会がある。参加メンバーをみているだけで、涙がでてくる。◇写真は鮮明でないけれど、入江先生の真の優しさがよく出ていると思うので掲載した。少し気分を知ってもらえれば幸いである。