暮れから始まる第97回全国高等学校ラグビーフットボール大会京都府予選で、伏見工業は決勝で敗退した。統合され来年から伏見工業の名は消える。TVに映る山口良治先生のお顔を拝見しつつ、心の中でお礼申し上げた。断言する。スポーツは勇気と感動を与える。私的な話にお付き合い願いたい。昨日は父の命日であった。21年になる。肝臓に転移した膵臓がんが見つかり手術して2年余り、抗がん剤治療などを続け、確実に父の体力は衰えていった。傍目にもつらそうであった。だんだんと出不精になり、笑顔も消えてきた。平成8年の元旦、私にとっては恒例の「高校ラグビー花園詣で」に父を無理やり連れだした。危険との理由でラグビーを許されなかったので、意趣返しの意味もある。父が知っていたのは、「泣き虫先生」で有名な山口先生の率いる伏見工業くらい。ちょうど元旦は大阪桐蔭VS伏見工業の一戦が組まれていた。座布団とひざ掛けを用意し花園のバックスタンドに陣取った。闘いが始まった。力の大阪桐蔭対バックスの伏見の構図。低く激しいタックル。骨のきしむ音が聞こえそうな激しい試合だった。ルールがよくわからんやろうと、得意げに説明していた私に父が言った。「説明はいらん。」身じろぎもせず、選手たちを凝視する父の横顔は、往年の厳しい父の顔だった。ゴールライン間際からもボールをパスで展開する伏見。スタンドからは悲鳴のような声援が送られた。ノーサイド。スタンドからは怒号なような歓声が沸き起こった。ラグビーの醍醐味を味わった。「ええもん見せてもろうた。来年も来よな。」父が振り絞るように言った。その日から、明らかに父は少し変わった。ただ、翌年の観戦はかなわなかった。それから14年。石清水八幡宮を訪ねた際、偶然必勝祈願をする伏見工業ラグビー部と遭遇した。気がつけば、私は山口先生の前で号泣していた。写真をご一緒し、後日非礼を詫びる手紙を差し上げると、ご丁寧な毛筆の返信を頂戴した。私の宝物である。愚息がその翌年ラグビースクールに入校し、私もラグビーに関わっていることをご報告差し上げたいと思いつつ7年。いまだに私は鼓舞していただいている。