私が学生の頃は、医学部卒業後は出身大学にそのまま進むのが普通でした。
卒業が近づくと、クラブの先輩などに飲みに誘われ、一宿一飯の恩義ではありませんが、それで進む科を選ぶ人は多かったです。もちろん「私はこれがしたい」という高い志で進む人も多かったです。
私はそんな崇高な志もなく、赴任先の院長に呆れられるような理由で「整形外科」を選んだのでした。もちろんその道に進んだからにはと、一生懸命に働き勉強しましたが、「期待の星」ではありませんでした。
外国の医療を知りたいと思い、ある種モラトリアムの気分もあって2年間フランスに留学。帰国したらそりが合わない新教授に散々疎んじられ、父の死をきっかけに開業医の道を選びました。
あくまで「市大整形外科」の医局員ですから、医局を退会するなど考えられない時代でした。ですから今も開業はしたけれど市大の医局員です。
しかい20年ほど前から始まった「新研修医制度」で自由に就職先を選べるようになり、医局の権威は地に堕ちました。命令ひとつで辺境の地へ赴任する必要がなくなったのです。地方の医療が崩壊したのは皆さんもよくご存じでしょう。
今も市大整形外科は500人以上の医局員を抱えますが、意に染まぬ異動を命じられると医局を去る者が続出です。地域医療の担い手であるより、家族が大事な人が増えているのかもしれません。
年月を重ね、末端医局員であった私も、市大整形外科開業医会の会長職を拝命するにあたり医局の副会長を命じられました。
まぁ名誉職のようなものですが、医局の予算にも物言える立場なわけで、先日の医局総会のあとの記念写真も最前列に立ちました。
あとは消えゆくのみって?
老兵は死なず、ではあります。
もうひと頑張り、日本の医療に微力を尽くさねば。