先日、熱中症で大量救急搬送を繰り返す学校現場の教師をなげく私が参加するフェイスブックでのやり取りがあった。
眠っていた記憶がよみがえりましたね。
そういえば、私の友達で教師をよく言うやつは誰一人いない。たぶん皆クラスでも優秀で、「いいこ」だったと思うのだけど。
「俺をえこひいきするから大嫌いやった」という友人の言葉を、先生たちにお渡しする。
精神を病む人が多く、過酷な職業であることは理解するが、だからと言って無能教師がのさばることは許されない。
私自身今も、金を払ってでも殴りたい教師が二人いる(もう亡くなっているかも)。
中学の時の体育教師「上谷」と美術教師「金井」である。(仮名ではない)。
考えてもみてください。
数学の教師がいきなり「では今から、因数分解のこの問題を解いてみなさい」と授業で言ったらどうなる。「できるわけないやん」と非難ごうごうでしょう。
どうすれば解けるようになるかを教え、指導し理解させるのが教師の役目であろう。
ところが奴らはどうか。
いきなり「懸垂してみぃ」と言って、できた回数で成績をつけるのである。私は大学入学後、初めて懸垂のコツを頭で考えて会得した。これを中学で教えてもらったなら、何回かはできたであろう。それを「努力は認める、0,5回」やと?
なめんとんか、ボケ!
中学になると、教師の力量を生徒は冷徹に判断する。見切られている自分を糊塗したかったのかな。薄っぺらい体育教師であった。
そういえば、冬場、父のえんじのジャージを着てたら「派手や、脱げ」て言ったよな。不良のオレンジジャージは黙認か。下衆野郎。
これでも学年主任であった。笑止千万。「上谷」一生忘れへんで。
それから美術の金井。こいつは結局3年間で美術の時間、生徒の前に出てきたのは2回だけであった。あとは美術教官室で、己の趣味の彫刻をしていた。これでよくも内申書を書けたな。情報開示請求をしたいところだが、屑相手にする暇はない。
大阪府の公立高校入試は今でも、高等教育に何の意味もない4教科の内申点数は倍に加算されて評価されているのだろうか。
私は、教師のつける内申点が、中学生を教師に隷属させ、覇気のない、くだらない人間をつくると信じている。新聞報道によると、堺市のある中学校で6年連続内申書記載に不備があったとか。間抜けも極まれりである。全員馘首でいいではないか。中学生になれば、教師の程度を的確に判断できる。私はずっと、こいつらが俺を評価するのかと心底うんざりしてた。自分より低レベルの教師がつける内申点で人生を左右されてたまるか。高等教育になぜ美術の才能が必要なのか。懸垂できなければ、絵がうまくなければ学問する資格ないのか。
内申を即、廃止せよ。灘高は教師の意地悪で内申を書いてもらえない生徒を内申なしでも合格にした。彼は東大医学部を出て慶應で教えている。
今、こうしていても、僕の拳は震えている。
卒業式で暴れなかった己を呪う。
子供の個性を奪うのは教師だ!