先日倉敷に見舞ったM君から、「これおもろいで、子供さんに読ませたら」といただいた本が本年13冊目。鈴木光司著 なぜ勉強するのか  ソフトバンク新書 700円です。「鈴木光司」? 誰?と思わないでね。映画「リング」「らせん」といえば、「嗚呼」と思い浮かべますね。高校教師を奥様にもつ彼が、今のイクメンを体験し、子供たちの教育をするうえで、なぜ私たちは勉強するべきなのかを論じたものです。今から10年前に出版されています。結論は「将来自分たちが社会を善くするため」勉強するのだとうことです。勉強により「理解力、想像力、表現力」を養う。これこそが勉強をする意味なのだと説きます。ですから、大学に入ったとたんに勉学を放棄する日本のシステムに非常に厳しい。学問の深遠は大学に入ってから覗くのです。実は私も、深く反省させられる本でした。実は今でも、もっと大学で勉強すべきだったと、痛感しているのです。もっと幅広く学べるように扉は開いていました。そして、その論考は日本社会にも向けられます。即ち、日本は究極の母性社会であり、今後日本が世界と伍して行くにはそのことを十分に理解したうえで、世界標準たる欧米の思考を取り入れなければならないだろう。ということです。即ち父性がないことが、日本人が真の自立を勝ち得ていないのだと。大東亜戦争など、年寄りが生き残ろうとした日本は、西洋と真逆であるという指摘は、非常に新鮮でした。今までの日本型社会を維持するだけでは、今後日本は生き残れないのではないかと、警鐘を鳴らしているように私は感じたのでした。この著作が世に出てから10年。日本はますます、母性社会になっているように感じます。男はマッチョでなければあかんのと違うかな?こういうとフェミニズムの方から怒号が飛びそうですが、ちがいますよ。「風呂、メシ、寝る」の旦那は母性に甘えているだけと糾弾されてます。勘違い男が、日本をダメにしているのかも。男がマッチョであることで、虐げられた女性が解放され、労わることができるのだということです。まだ結婚前のお子様をお持ちの方、これからの世代の若者をお持ちの方は皆さんで読まれてはいかがですか。小6の愚息が先に読んだのですが、塾の行き帰りが楽しみで仕方なかったようです。これから社会に出なければならない諸君、必読の書だと思います。