医療の現場は当然多くの人と交わります。これは公的な職場は皆そうでしょう。
開業して一番疑問に思ったことは、明らかな知的障害の方は医療費の公的補助がありますが、どうみても知的障害者なのに通常の医療費を支払う方がおられることでした。きっと社会に出て働くうえでも相当なハンデとなって、職場の選択、収入面で苦労されてるに違いないのです。この両者の線引きは何だろう?ということでした。
悶々としているときに出合ったのが、宮口幸治先生の「ケーキの切れない非行少年」でした。何か事件を起こして少年院に入る子供たちには知的障害者が多く含まれるということ。昔は知能指数84以下を知的障害としていたのに、ある時からそれを70以下にしたことでした。知能指数70-84の人を境界知能と呼びます。この子たちは普通学級に入ることになります。当然、授業についていけません。彼らも皆と同じようにしたいのです。でもできないのです。そうして脱落、横道へそれる子が出てきます。
割合的には境界知能の子供は今の35人学級に3-4人いる勘定です。
私には衝撃でした。どんなに頑張っても彼らが他と同様にできるはずがありません。予算の問題からそうなったらしいですが、なんと冷たい仕打ちでしょう。
小学校1年の時、N君という何をさせても変な子がいました。今から思えばそういう子だったのでしょう。担任の先生が辛くN君にあたるのをみて「この子はアホやねんからそんなに叱らんといたって」と子供心に思っていました。またなぜその時からあった特別クラスに行かないのだろう?とも考えていました。
先日紹介した、同門開業医会の集まりで、著者である宮口幸治先生をお招きし、講演していただきました。辛く苦しいだけの会長職にある私の唯一の楽しみが演者選定です。一昨年は地震学者の鎌田浩毅先生、昨年は報道カメラマンの宮嶋茂樹さんを呼びました。すべて私が読んで感銘を受けた著作の作者です。
宮口先生の話は、知的障害者への対し方だけではなく、子育てにも大いに役立つお話でした。
ひとつ印象に残ったこと、最近よくある「君はこれ以上頑張らなくてもいいんだよ」という言葉。これはダメなんだそうです。たいていの人は努力をしていないのだから、努力を放棄させるだけになること。できない子は本心ではみなと同じようにできるようになりたいのだから、それをあきらめろと言うに等しい、「残酷な宣言」になるのだということ。
先生の続編である「どうしても頑張れない人たち」「歪んだ幸せを求める人たち」にはどんな子も頑張れば変化し進化することが示されています。
年老いようと、懸命に努力することが大事なのです。