また小学校の同級生が亡くなった。MT君。大阪市立常盤小学校1,2年の時の同級生だ。当時の常盤小学校は、常盤―文の里―天王寺というエリートコースに乗るための小学校だった。多くの児童が越境通学で入学してきた。私もその一人で、校区内のお米屋さんに住所を借りて入学した。さらに言えば常盤幼稚園にも当時の園長先生の独断で入園を許可され、電車通園をしていた。「孟母三遷の教え」である。全校生徒は3000人を超えた。校庭は斜めに50mをとるのが精いっぱいの狭さである。私の1年2組は54名の生徒だった。これでも立派な教育がなされていたのであるから、結局教育とは、教師と親の覚悟なのだと思う。越境してくるくらいだから、優秀な生徒も多かったようだ。わがクラスにも俊英はいた。そのトップがMT君だった。5年上の兄上は生徒会長だった。全校朝礼での朝礼台のお姿がまぶしかった。MT君は何でもできた。勉強はもとより、運動も抜群、絵もうまかった。校庭でのボール遊びも叶わなかった。私はうらやましいと感じると同時に、正しくライバル心を燃やした。さらにはOH君、OK君などの劣らぬ優秀な生徒だった。当時は2年間クラス替えがなく、2年生になり1学期の級長にMT君が当選した。どうも父母はそれが相当ショックだったようである。2学期はOH君が選ばれた。子供はよく見ているのである。私はようやく3学期の級長に選ばれた。MT君は中学でもスターだった。ラグビー部に入り、スクラムハーフで女子生徒の熱い視線を浴びていた。当たり前に天王寺高校へ進んだ。そして京都大学へ。同じクラスになったのは、2年間だけだったけど、私の心のライバルはMT君だった。ちなみにOH君は天王寺高校から大阪大学へ。東芝へ進んだ彼とは今でも交流がある。先日述べたジョニー久保田やM君とは違う種類のよきライバルだった。私は、あまり負けず嫌いではない。ただ、彼らに対し恥ずかしくないようにしたいとの思いは強かった。そのMT君が亡くなった。なぜ日本に有益な人材を天は召されるのか。理不尽と思うのである。次が私でも、驚くことでもなさそうである。私が有益な人間とも思わんが。